【Memories of 2019】嫌がる顔が嬉しい?これっていいの?

誤解のないように最初に伝えておきたいのは、決して「その発言自体を否定したい」とか「アンチになりたい」ということではありません。

ファンとして応援していく中で、自分の価値観と合わない部分に出会ったときにどう向き合うか。

その整理のために書いています。 

しかも今回は、自分の“推し”ではないメンバーの発言について感じたこと。 

推しではないからこそ、余計に「どう距離を取ればいいのか?」と考えさせられた、という話です。


発言の背景

あるシーンで「グクの本当に嫌がってる顔を見るとすごく嬉しいです」という発言。 

メンバーとしての絆や家族のような関係性を考えれば冗談や軽いノリだとは思う。
ただ、個人的な価値観として受け入れられない、と感じるファンもいるのでは?

自分はその一人だ。


受け入れられない=アンチではない

重要なのは、「受け入れられない=アンチになる」ではないということ。

アンチとは嫌いになった上で批判・攻撃や活動全般の否定を行う状態。

一方で、自分の倫理観や信条に照らして「これは好ましくない」と感じるだけなら、単なる個人の感覚の整理だと思う。


好き嫌いの問題ではなく、価値観の問題

極端な例を出せば、誰かを傷つける冗談を「好きか嫌いか」で語れる?

これは「好き嫌い」の次元の話ではなく、その行為自体が好ましくない、という価値観の話。

同じように、嫌がる顔を楽しむ発言に対しても、それを肯定できないのは「アンチだから」ではなく、個人の倫理観や信条の問題。


個人的感覚と距離感

ファンとして見られるのはほんの一部の時間。

その時間に誰かの嫌がる顔を見たいかといえば、自分は違う。

この発言を聞くと、「これもあれも…」とつい穿った目で見てしまうこともある。

でもそれは批判や攻撃ではなく、単純にその場面を見たくないってだけの話。

結果として、自分にとってその二人の存在を見ること自体がつらくなることもある。

ファンでありながら、自分の価値観との線引きで距離感を考えるのは自然な感覚。

フィードバックとしての感情表現

ファンは必ずしもすべての発言や行動を受け入れられるわけではない。
どこで線を引くかはファン自身の判断であり、何かを求めたり押し付けたりできるわけではない。

しかし「わかってはいるけど好ましくない」という意思表示は、改善やより良いコンテンツ作りのためのフィードバックになり得ると思う。

感情を伝えることは「NO」ではなく「より良くなるための提案」として考えることもできる。

ただ残念ながら、こうした感情表現は時にタブー視されてしまうことがあり、その点が難しい部分でもある。


「見なければいい」で片づけられない場合

たとえば、もしグク自身が少し刺激的な発言をするなら、ファンは「嫌なら見なければいい」で距離を取ればいい。

でも、誰かがグクに対して嫌な発言をした場合、それを「見なければいい」で済ませるのは違うはず。

その発言の矛先はグク本人であって、ファンがただ見ないようにすれば解決する問題ではないよね。 つまり「見なければいい」という言葉は、発言した本人が自分に向けられた反応に対してのみ使えるもので、他者を傷つける発言を正当化する免罪符にはならない。

だからこそ、そうした場面では「好ましくない」という声を上げることに意味がある。

なんか難しく書いたけど、嫌がる顔を見たくて応援してるわけじゃないって事。
ここが自分の感情の原点かもしれない。




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